当ホールの建築について

■当ホールは、1937年(昭和12)に、魚崎町役場として建設されました。設計は清水栄二、工事施工は竹中工務店でした。

 ・当時の番地は、「魚崎町横屋字石田627番地」。
 ・鉄筋コンクリート三階建、延べ坪数400坪。

■建物の構成は、以下の通りでした。
 ・1階:事務室、応接室、町長室、宿直室、書庫、小使室、製図室
 ・2階:会議室(写真左上)、議員控室、委員室、応接室、物置
 ・3階:公会堂に使用する目的で設計された洋風広間(写真左下)、日本間

 その後、魚崎町が神戸市に合併したことに伴い、神戸市立東灘市民病院(のち、東灘診療所)、東灘文化センター、東灘区民センター分館、を経て、現在の体制となっています。


※参考文献:魚崎町誌編纂委員会『魚崎町誌』(1957、神戸市魚崎財産区。1981再版)




当ホールの設計者・清水栄二氏について

しみず・えいじ(1895〜1964)


 1937年(昭和12)に建築された当館を設計した清水栄二は、1895年(明治28)1月3日、兵庫県武庫郡六甲村字八幡(現神戸市灘区)に、土木建築業を営む清水鶴吉の次男として生まれました。都賀浜尋常高等小学校(現・神戸市立西郷小学校)、兵庫県立第一神戸中学校(現・兵庫県立神戸高等学校)、第三高等学校(現・京都大学)を経て東京帝国大学に進みました。

 卒業後、大阪の建設会社を経て、1921年(大正10)に神戸市土木課に勤務。1923年に営繕課の新設に伴い、初代課長に就任しました。御影第二小学校(1925)をはじめ多くの小学校や公共施設を手がけています。

 同時に、癸亥社(きがいしゃ)という設計事務所を設立しています。のちの清水建築事務所です。ここでは、市立生糸検査所(1927、現存)、御影宝盛館書店(1929)、魚崎小学校(1929)、御影公会堂(1933、現存)、魚崎町役場(1937、東灘区民センター小ホールとして現存)などを手がけました。 

研究者の川島智生は、
■魚崎小学校(現在のものは、2003年に原形を反映しつつ新築)については、「その水平な軒蛇腹と高く上げられた給水塔の絶妙なバランスは他に追随を許さない。当時阪神間のいまだ市にならざる町や村では、競い合って最新設備の近代学校建築を建てた。全国的にみても、その質の高さは群を抜く」。

■御影公会堂については、「正面はインターナショナル風、側面は表現派風、内部インテリアはアール・デコ的であり、清水の手がけた最大規模の建築である」。

■魚崎町役場(現・東灘区民センター小ホール)は、「戦前に手がけた最後の公共建築で、鉄筋コンクリート造3階建、やはり内部、外部ともにアール・デコ色が濃いように思われる」
 と評しています。


 清水は、戦時中活動を中断していましたが、戦後には活動を再開、再開第一作は、魚崎町立魚崎中学校でした。戦後は自らは大きな設計には携わらず、住宅産業の中に身をおいて、庶民のための質の高い小建築を提供するという姿勢を貫いたようです。

注:
・表現主義、表現派 建築においては、20世紀初頭にドイツや北欧で始まった、鉄やガラスなどの工業製品を用いて斬新なデザインを目指した思潮。
・アール・デコ 1910〜30年ごろに欧米で発展した幾何学的な装飾表現を重視した美術・建築の様式。

◆参考文献:
・川島智生「建築家 清水栄二の経歴と建築活動について」、日本建築学会「計画系論文集」 第544号、2001年6月
・川島智生「建築家 清水栄二についての研究(その一)−その全容と足跡について−」、日本建築学会近畿支部「研究報告集」平成元年度、1989年

◆参考リンク

■レトロな建物を訪ねて
http://gipsypapa.exblog.jp/tags/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%A0%84%E4%BA%8C/
■近代建築Watch
http://hardcandy.exblog.jp/tags/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%A0%84%E4%BA%8C/
■神戸市東灘区の近代建築1
http://3rd.geocities.jp/ta14hi/kindaikentiku/hyogoken/kobe-higasinada1.html
■関根要太郎研究室@はこだて
http://fkaidofudo.exblog.jp/tags/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%A0%84%E4%BA%8C/

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